久しぶりに
5年ぶり?くらいにこのページを覗いたらなんとまだサイトがあった。存在すら忘れていたくせに、律儀にブックマークしていたお陰でワンクリックでここにたどり着けた。
自分の書いた記事を読み返していると、あーあ相当苦悩して生きていたんだな、とまるで赤の他人に心を寄せるような錯覚を感じた。自分のことなのにね。
今はデートに向かう電車の中でこの記事を書いている。
つい先日、付き合って一年記念を迎えた。
特に喧嘩をすることもなく、ぼくのメンタルが暴れ散らかすこともなく、毎日平和に、でも着実に信頼感を育んでこれたと思う。
相手に尽くすのがぼくの恋愛だー!なんて豪語していたぼくであったが、今のパートナーとは泥臭くも全力で体当たりし、お互いの気持ちをぶつけあっている。
そう、相手のご機嫌を伺い、考えていることを先回りして奉仕することがかつてのぼくの恋愛の流儀だった。
でもそれは自分への自信のなさから生まれた行動なのだと思う。自分に自信がないからこそ相手に尽くし、そこから生じる存在意義や他者からの肯定を求めていたのだ。
なんとも不安定な流儀である。
それが今は、自分のメンタルをより良く健全にするためにはどうすればよいか、というテーマを軸に思考している。認知行動療法も組み込まれたその思考法を使えば、自分の認知が悪い方に引きずり込まれるのを事前に気づくことができるし、気づいたことで対策を講じたりもできる。
これはとても大きな変化だった。
すべては2年前、ぼくが自殺未遂をしたことがきっかけで、様々なことが変わり始めた。それは良い変化だった。
尊敬できる主治医にも出会え、あれほど多く飲んでいた薬の半分以上を断薬できるようになった。
新しく仕事も始めた。
1月には同棲も始める予定だ。
一度死ぬことを決意したくせにのうのうと生き延びているぼくは、一生その罪と呪いと傷を背負って生きていくしかないのだ。
その覚悟が固まっているかと聞かれれば、素直にYESと言えないだろう。それほど心の奥深くに根ざしている問題である。
でもこれから少しづつ、冬が春になっていくように、雪が解けて川へ流れるように、そして忙しい生活のあまり季節の移ろいに気が付かないように、ゆっくりとひっそりと生きる覚悟が作り上げられていくのだろう。
もうすぐ大好きな人に会える。
今はその時間を楽しもうじゃないか。
不安なことはどうせ起こらないものさ。
生きる意味
今夜も、効かない薬を5種類飲んで眠りにつく。
よく歌った1日だった。
弾き語り配信していて、100人にひとりくらいの確率でぼくの歌声に聴き入って涙してくれる人がいる。
幸せなことだなと思う。
でもぼくは根っからの恋愛体質だから、大切に愛する人がいないと生きていく意味が見いだせなくなって生きる希望が迷子ちゃんになってしまう。
難儀だなあ。
実らない片思いを繰り返してわかったのは、ぼくがギターを弾いてそれに合わせて歌ってくれる人がそばにいてくれたらどれだけ幸せなんだろうかということ。
叶わない夢だろうなあ。
それでも毎日のように弾き語りをする理由。
ぼくの本名には記すという意味の「記」が漢字として入ってる。
両親が意味を込めてつけてくれた大切な名前。
その名前に負けないように、今日を生きている、今日を生きたという記しを残していきたい。
写真や他愛もないツイートもそう。
でもいちばんはやっぱりアコギ弾き語りがいいな。
あなたの幸せを願いながら、ぼくの生きた証を記しながら、見向きされなくても弾き語りをして生きづらい毎日を過ごしていきたい。
ぼくの生きる力が尽きる前に、大切な人ができてそばにいてくれますように。
刹那的な生き方でも許しておくれ。
病気を言い訳にするわけじゃないけど、生きることはしんどくてつらくて疲れるんだよ。
ごめんね。
通話ゲームって楽しいねえ
仕事柄帰るのが遅くてなかなかフレンドさんとゲームする時間合わないことが多いけど、お誘いしたら快くOKしてくれるお友達ができてうれしくて楽しい!
小学生の頃からゲームするの大好きで、今やオンラインで遊ぶのが当たり前、子供の頃はそんな未来考えたことなかった。
ビバ技術革新!
仲良しのみなさん優しくておもしろくて毎日の楽しみであります。心からありがとう!
お誘い突撃ウザかったらごめんなさいブロ解されるの気にしません!
フェスが待ち遠しいねえ。
明日からもがんばらないようにがんばってまた一緒に遊びましょ٩( 'ω' )و
ぐっない~
価値観の違い
恋愛においてお互いの価値観が違うケースは結構あるのかもしれない。
物事の価値観が似ていてお互い惹かれあい、付き合う例が多いなか、その価値観が違っていたときにはどうすればいいのか。
それはとことん話し合うしかないと思っている。
価値観のズレは人間関係や信頼関係のズレを引き起こす原因になりうる。
だから、交際しているなかで「価値観や考え方が違うな」と思ったとき、その「すりあわせ」をしなければならない。
自分の意見や主張を聞いてもらい、また、相手のそれをこちらも聞く。
そうして理解を深める必要がある。
ときにはどちらかが考え方、価値観を譲らなければならないときもある。
それは我慢やストレスといった形でなんらかの影響を及ぼすかもしれないが、愛情があれば不可能ではないはずだと思う。
そうはいっても人間だれしも、そこだけは譲りたくない、折れたくないという考え方があると思う。
決定的にその価値癌が食い違っていて、お互いが譲れないとき、それはもう縁の切れ目ではないだろうか。
価値観が違ったまま交際していても、そのズレからなんらかの軋轢が生じるだろう。
お互いの時間を尊重するためにも、価値観の食い違いは早めに発見し、話し合ってすり合わせをする必要があると考える。
価値観の違いというものは僕の人生の中でとても大きな課題であり、熟考すべきテーマでもある。いろいろな人と接して意見を吸収し、さらにこのテーマについて考えていきたい。
好きだけど幸せじゃない
相手のことが好きだけど一緒にいて幸せに感じないときってあると思う。
そっけなかったり、誘っても答えてくれなかったり。寂しく感じたり、悲しい思いをするとき、そういうときは幸せだとはいえないと思う。
でも逆ってあるのかな。
幸せだけど相手のことが好きじゃない。
うーん、想像がつかない。
相手がお金持ちで欲が満たされていたり、愛情がなくなったけどこどもができてこどものために幸せな毎日を送る生活。
そういうことが例えとして言えるのかな。
好きだししかも幸せって、恋愛において究極的な感情だと思う。
好きだけど幸せじゃないなら、お互いの時間を無駄にしないように、本当に相手のことを思って別れてもいいと思う。
自分のことをもっと好いてくれて、幸せにしてくれる人って必ずいるから。
ぼくはなんの力もないけど、愛して尽くすことだけはできるから、毎日が笑顔で溢れててわちゃわちゃ楽しい生活を、大切な人と過ごしたい。
ねむいから頭の中ごちゃごちゃしてるんだけど、何が言いたいかっていうと
ぼくは今をがんばるということですわ。
認められるように努力するし、もっと幸せにしてあげたいから略奪愛も選択肢のひとつとして許せるようになってきた。
好きってこんなにも生きる希望になるんだなあ。
ありがとう。
おやすみ。
考えたくないこと
考えたくないことはだれにでもある。
ぼくも多々ある。
そういえば、最近本でこんな文章を見つけた。
何を書こうか迷っているとき、頭のなかがごちゃごちゃしているとき、まずはなんでもいいから書き始めてみることが大切だ。
確かにそう思えることがある。
頭ばっかり使って考えてしまいがちだけど、価値観や固定観念を捨てて、まずは行動にうつすこと。
これが意外といちばん良い解法なのかもしれない。
行動するには勇気がいる。
決断を先伸ばしにしたいこともある。
それでも、こうしたい、ああしたいという気持ちに任せて思いきって動き出してみるのもありかもしれない。
本当に久しぶりに価値観を譲った。
これが正しいのかはわからないけれど、お互いの幸せになることなら、それで納得できる。
縁が切れなくて本当によかった。
ありがとう。そしてごめん。
おやすみ。
日々の幸せ
好きな人がいるって、なんて素晴らしくて明るい世界なんだろう。
今までぼくは孤独に生きてきた。そんななか、好きな人ができた。それだけで毎日がすべてハッピーに思えてきた。
この人のために生きよう。明日は今日よりもつらいかもしれないけれど、この人のためなら明日も生きることができる。
そう思えてきた。
今までは、自分にはなんの価値もないと思い込んでた。それでも、この人を幸せにしたい、泣かせたくない、守りたいと思える人ができた。
その人がこの世に生きているだけでぼくはこの世に生きる価値を見いだせるんだとわかった。
昨日もありがとう。
今日ももっとありがとう。
明日もお世話になります。
そうやって月日を重ねて、もっとお互いのことを知れたらいいな。
あれほど暗かったぼくの人生が、ぱあっと明るくなった。
ありがとうありがとう、本当にそれしか言えない。
ぼくにできることならなんだってするよ。
どんどん頼ってね。
おやすみ、また明日。